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Jヴィレのマリーゼ戦の後のYOUの記事の中で、小野のコメントに”PKの時に、決めなければというすごい重圧があった” と、言っていた。 サポーターとして、すごいショックだった。
選手が重圧を感じていた時に、自分はPKは決まるものと思いわくわくしていた。結果、GKにはじかれあのまま同点に追いつかれていたら・・・・・と思うと今でも・・・・・
サポーターの仕事として、選手の良いプレーには拍手をおくり、ピンチの時には、気持ちで負けるなとより声援を送る。
選手の状況を掴んでよい方向へ導けるように必死で声援する。 小野がPKをける時に”気楽にいけえー”と言っていれば状況は変わったかもしれない・・・・・
たらればの話だが、選手と一緒に試合を通してコミュニケーションをとり一緒に喜び、一緒に悔しがり、勝利の喜びを一緒に味わう。 そのために、いつも選手の補佐役でありたい。
12月より、女子選手権が始まるが優勝目指して頑張る選手のサポートが出来ますように!!
サッカーチームの応援をサポーターとして、しているといろいろなことがあります。
まずは、選手・スタッフにだんだん顔を覚えられてきてこちらから挨拶をすると挨拶を返してくれるようになる。それから先に挨拶をしてくれるようになり、次は「いつも応援ありがとう」といってもらえるようになる。
チーム・選手を応援していて選手から「いつも応援ありがとう」と言って貰える事はとても嬉しいことです。自分がサポをしているチームは、雰囲気が良くチーム全体が応援していて良かったと思えるチームです。
あとは、試合会場で対戦相手のサポとの交流があります。顔をみて挨拶することから始まり、いろいろ交流をしているサポが全国各地にでき、お互い助け合い連絡を取り合い和気藹々にそれぞれの立場でサポを楽しんでいます。
古くは、試合開始前に集まりフットサルをしその後バーベキューをしたり、合同で新年会をしたり、
そんな時、本当に応援していて良かったと思います。
そこで、ふと気づく・・・・・応援している選手が頑張っているのだから自分も頑張らないといけない。 選手には自分も負けられないって。
応援しながら、選手に励まされているのか? いや、選手への声援はもしかしたら弱い自分へのエールなのかなと・・・・・・
選手の笑顔に励まされて、選手の笑顔が見たくて、応援はメビウスの輪のように前をみながら進み、繰り返される自分へのエールなのかなって・・・・・
また、明日からがんばろうって思います。
BAMP OF CHIKENのプラネタリウム大好きです。 なんか、昔のことを思い出してしまいます。 それもこれも、音楽配信のサイトを見ていたら見つけて思い出しました。
古くは、風の「星空」 という曲もそうですが、星についての比喩が昔を思い出させます。
高校の時に同じクラスの女のこのことが結構好きで・・・・というより、憧れていて彼女にしたいというよりもずっとそばにいたいとか、見ていたいとか、話をしたいとか、今から思えばうぶだったと思いますが、そんな感情を抱いていました。 高校を卒業してから、クラス会や駅で偶然会って話したりはしましたが、だんだんそういう機会もなくなり、自分の中にはあの頃の思い出だけになっていました。
2年前の同窓会の時に、会いたい様な会いたくないような複雑なきもちでしたが、友人からいつ頃かわからないけど癌でもう星になってしまったと聞きました。
内心すごくショックで何もいえませんでしたが、ある意味自分にとってはあの頃の姿だけを思い出にしまえるのでホッとした気持ちもありました。
風の「星空」の一部の歌詞です。(バレー部のキャプテンの思い出の歌詞です。)
その人、思い切りジャンプして、そう、お星様に手が届いちゃったのよ。
みなさん、是非見てくださいね! たぶん来年には、ハリウッドでリメイクされた「いま、会いにいきます」も公開されると思いますのでそちらも楽しみにね。
よろしくお願いいたします。
最近、音楽配信のHPを見ていたら・・・・・見つけちゃいました。
昔すごくつらかった時に有線から流れてきた曲、甲斐バンドの”ダニーボーイに耳をふさいで”
それまで、すごく落ち込んでいてこんこと無かったというくらいにつらかった、そして偶然この曲を聴いたとき
涙が自然に溢れてきて止まらなくなった。
落ち込むだけ落ち込んで泣くだけ泣いたらすごくさっぱりして、それから一気に立ち直ったそんなことを思い出しました。
即、ダウンロード! 210円也。
その時、甥っ子は幼稚園に通っていましたが毎朝姪っ子が学校に行かないことを確認してから幼稚園に行っていました。 何故かって言うと、学校へ行くといじめられるから一緒に行って守ってあげると言うのです。
だから、学校へは行かないことを確認してから幼稚園へ行っていたのです。 それと比べると担任の先生や教務主任の先生は、いじめをしている子供の親へも何も言わずに解決しようとしませんでした。
そんな時、はとこが教育委員会に勤務していた事もあったため相談に行くと転向させるしかないんじゃということになり俺も子供の頃通っていた学校へ転校させました。
転校の時に、校長にわけを話すと一番雰囲気のよいクラスへ転入させてもらえました。 そのクラスの担任の先生はとてもよい先生で姪っ子もとても明るく学校へ行くことが出来、無事卒業することが出来ました。
本当に子供の頃出会う人の影響は本当に重大だと思います。 もしかしたら、俺の大事な姪っ子が・・・・・と思うと本当に今元気で良かったと思うとともに、軽はずみな行動をとった今回報道のあった先生には腹が立つのです。